読書三昧

しんどいことがあったときこそ、ポジティヴ・シンキングするのがわたしの流儀。

病気のおかげで、できたことを考えよう。家事はすべてうっちゃっといて、子どもはパパに任せて、たっぷり眠って、おいしいもの食べて*1、熱が上がってくると解熱剤をのんで布団にもぐりこみ、熱が下がれば読書三昧してすごした一日……あちこちが痛かったり痒かったりすることを除けば、こ〜んなゆっくりしたのは久々かもしれない。(昨日は、プツプツがかゆくてかゆくてたまらなかったけど、今日はずいぶんマシ。どうやら発疹は出切ったらしい。)

たまたま図書館から借りていたSense of Wonderも読んだ。(文章が少ないので、すぐに読めてしまった。)

The Sense of Wonder

The Sense of Wonder

この手の本を借りたのは、ホント、久々で、どうして、最近、自分がこれを借りようと思ったのかさえ覚えていない。なんか、運命的?な気がする。無意識に「癒し」を求めていたのかな?

はてなの説明によれば、

初版から30年以上を経て出された新版。レイチェル・カーソンのこの古典的名作は、新しい世代の読者をみごとなまでに美しい世界にいざなう。新たに加えられたニック・ケルシュのすばらしい写真が、カーソンと甥のロジャーのプライベートな冒険談をみごとにひきたたせる。2人は、メイン州の岩場の多い海岸や、深い森、広い草原を散策し、野生生物や珍しい植物、月光、嵐雲を観察し、背の低い木々の間にいる虫たちの「生きた音楽」を楽しむ。

「子どもが生まれながらに持っている驚きの心をいつまでも失わないようにするには、一緒に驚き、私たちの生きている世界の喜びや感激や神秘を再発見できる大人が少なくとも1人は必要だ」とカーソンは言う。『The Sense of Wonder』は、そういう心を失ってしまった人を癒し、カーソンが考える人生に不可欠なものを発見できる子どものような能力を身につける方法を教えてくれる。

美しい自然を写した大判の写真を見ているだけで、心が癒されてくる。自然のなかにいるときの水の音、草の香り、静けさ……を思い出す。じつは昨年、写真を趣味にしている昔の翻訳の先輩が安曇野大自然の中に移転した。これから寒くなる季節に何を酔狂な……と、ついわたしは思ってしまったのだけど、こういう本を見ていると、彼が大自然を求めた気持ちの一端が分かるような気もしてくる。本の中にこんな一節が出てくる。

There is something infinitely healing in the repeated refrains of nature-- the assurance that dawn comes after night, and spring after the winter.

自然のリズムの確かさに、人の心は癒されるのだろうか。

そういえば、かつて、とても辛いことを抱えていたとき、わたしはしばしば奥多摩の渓流の音を聞きに行ったものだ。大きな岩の陰に入り込んでしまうと、ごうごうと流れる水の音以外、何も聞こえなくなった……少し身を乗り出しても、鳥のさえずり、木々のざわめきが聞こえるばかりだった。いわば単調なくり返し。延々と続く水の流れは、たしかにわたしを癒してくれた。

もうひとつ本から抜書きしよう。

it is not half so important to know as to feel.

ともすれば、「知識」ばかり偏重してしまいがちなわたしたちだけど、「感じる」ことのたいせつさを忘れてはいけないね。

人生に何が必要か……ということを思い起させてくれる一冊。

明日はアース・デー。ああ、そうだった。Earth Day用によみきかせる本として使えるかも……と思って、図書館に予約していたのだった。はたして娘はおとなしく聞いてくれるだろうか。

*1:うちのすぐ近くに、金沢で一番おいしいと聞いているケーキ屋ができたので、チーズケーキを買ってきてもらった。たしかに美味しかったぁ〜!