お母さんの英語手習い

最近、スクールでママ向けの「生活英語入門」というレッスンを始めたけれど、これを思いついた大本には、40代に入ってから「英会話」のクラスに通うようになった実の母のことが影響しているかもしれない。

わたしの育った家庭では、わたしや弟が小学生の時に父が外国人と仕事をするようになって、わたしたち姉弟は英語が大好きになって、どんどん勉強するようになったのだけど、しばらくのあいだは母だけ取り残された形だった。お客さんが来ると片言でもしゃべろうとするわたしや弟に比べて、母はいつも家族のなかでただ一人、黙ってニコニコしている存在だった。

だけど、わたしが高校生の頃、知らない人ばかりの土地に引っ越した時に、お友達が欲しいという気持ちもあって、母は英会話のクラスに通い始めた。(その頃のクラスで知り合った人と、母は今でも友達づきあいしている。)そのときすでに、40歳を超えていたと思う。もともと勉強嫌いで、英語も大の苦手だった母は、初歩の初歩から始めた。なにしろ当初はNHKラジオの基礎英語を聞いていたのを覚えている。

その数年後、わたしたちが親元を離れてから、両親は何人もの外国人学生を次々と家にホームステイさせた。さらに、それから10年も経たないうちに、結婚して海外で暮らすようになった弟のところに子どもができたときに、母は手伝いのためにカナダまで行き、1年間近く向こうで暮らしてきた。それ以来、様々な理由で母は一人で渡航した。飛行機に乗るたびに隣の席の人と英語でおしゃべりしたことを報告してくれる。まだまだブロークンだけど、税関を通過したり、買い物したり、家にお客さんを招く程度であれば、何の問題もなくなった。趣味の水墨画で中国に旅行したときにも、英語でオーダーしたり買い物する際には、母がみんなの頼りの綱になったという。

娘から見ても、英語を学んで母の人生は大きく広がった……と、思わずにいられない。カナダ人の仲のいい友達もできた。逆に、父も母も(父は仕事上どうしても英語を使わなければならなくなった頃に、必死の独学で英語を身につけた)がんばっていたことは、わたしや弟にも良い影響を及ぼしていると思う。ともあれ、我が家には英語環境があった、のだ。英語が流れているのが当たり前だったし、英語の本がそこここに転がっていた。家族でスクラブルで遊んだりもした。

逆に母のほうも、自分が英語を学ぶのにいい環境にあったと話してくれたことがある。娘や息子がしゃべれるのを見ていて、うらやましかったし、外国人が家に来た時、自分だけ分からないのは悔しかったから、がんばろうという気になれたのだというのだ。まさに相乗効果があったのだ。

もう一つ、母を見ていて思ったのは、日常会話のためには「簡単な表現」こそ重要だということだ。日常会話は的確な「ひとこと」があれば成り立つのだけど、日本人はそうしたものをなかなか学べない。だけど「子育て」は、日常的によく使う短く簡単な言葉を覚えるよい機会になる。

母がまがりなりにも英語を使えるようになった一因は、弟宅の小さい子どもたちを相手にしていたこと(その子たちの見る本やテレビ番組に触れていたこと)ではないかと、じつのところ以前からわたしは推測してきた。自分も英語子育てをしてみて、赤ちゃん向けの英語番組などをよく見るようになって、まさにそれを実感するようになった。乳幼児向けの英語のメディアは、大人にも有効なのだ。今、「生活英語入門」のレッスンで、ネイティブの子どもが最初に覚える英語の表現を集めた本を使っているのも、母と自分の経験に基づいている。

つくづく思うのだけど、何歳からでも英語を始めるのは遅くない。英語は友情を育て、人生を広げてくれる。それに、子どもが育っていくにつれて、自分も英語を使える/使わなくちゃならない生活に突入するかもしれない。自分の子どもがどの国で暮らすか、何人と結婚するかも、分からないのだし……気が早すぎるかしらん?