英語は英語のままに そして楽しく

『英語は「多読」中心でうまくいく!』(林剛司著)に「訳読授業の弊害――利点もあるが、欠点の方が多い…」という節があります。20年来翻訳を本業としてきたわたしには、ここで言われている訳読や精読の欠点が身につまされて分かります。

訳読(=テキストの英文を一文一文正確な日本語に訳していく作業)を行うためには、精読(テキストの英文に出てくる単語、構文、文法などを確認しながら、細かいニュアンスも含めて理解しようとする読み方)が必要になります。しかし、この作業では「読んだストーリーの英文はほとんど残らず、苦労して訳した日本語の文章ばかりが頭の中に残る」ことになると著者は言います。これは本当です。長年にわたり大量の文章を翻訳してきたわたしの経験からも断言できます。いったん訳してしまうと、訳した後の日本語のほうが頭に残ってしまうのです。だから英語を大量にインプットしようと思うなら、訳読法はあまり適していません。苦労した割には自分の中の英語の“貯金”が増えないからです。特に、英会話に使えるようなシンプル・イングリッシュの貯金にはほとんどなりません。

英語で書いたり話したりするアウトプットが得意になるコツは、日本語を介さないことだと思います。そのためには、英語を大量にインプットして“貯金”を増やすのと同時に、英語は英語のまま受けとめ、英語で返すという訓練が必要になります。日本語もまだおぼつかない幼い子に英語を入れるのがある意味で有効なのは、いちいち日本語に訳すという作業をしないで、英語を英語のまま、まるごと受けとめるからでしょう。発音が良くなるのも、そのためです。英語の50音表記では表現しきれない音声を、まるごと受けとめて覚えるからです。

さて昨日、うちの子も前にお試しレッスンを受けたことがある某塾の英語のテキストを目にする機会がありました。そのテキストでは、英単語ひとつのレベルからすべて訳語がそばにくっついています。子どもたちはその訳語を頼りに、初出の英単語・英文を丸暗記するのです。あの学習法は、子どもたちに訳出のクセをつけてしまいます。しかも、まだまだ柔軟で、英語は英語のまま受けとめうる能力を秘めている子どもたちに、「日本語にしないと不安」な心性を幼い頃からわざわざ植え込んでしまうのです。あれでは英語を話せない従来の日本人的悪習慣がついてしまうのではないでしょうか。

また、翻訳者としての経験に照らしても、訳語というものは原語と意味上のズレがあるものです。英単語ひとつに日本語の単語ひとつが一対一対応していることは、まずありえません。それなのに、ある英文に対応しうる多種多様の日本語のうちからひとつだけを取り出して併記し、丸暗記させるのでは、言語のもつ意味の世界は狭まり、言葉同士の意味上の連関もまた失われます。

日本語でも英語でも、子どもたちは語呂合わせやだじゃれが好きで、そういう言葉遊びを通じて言語の世界を広めていくものです。しかし、Good morning.を「おはよう」と一対一対応で丸暗記した子には、"Bad morning."と冗談で言われても理解できないでしょうし、同じGood morning.でもシチュエーションによっては「おはようございます」とも訳せると言われたら、「どこに『ございます』があるの?」と疑問を抱きそうです。さらにGood afternoon.については、どう訳せばいいのかと頭を抱えるかもしれません。(日本語にはない表現だからです。)Good evening.とGood night.の使い分けについても悩んでしまいそうです。英語で考えれば、Goodの後に一日の中での時間(朝、午後、夕方、夜)を表わす言葉がくっついただけの挨拶の言葉なので、単純な話なんですが。小さい時から、そして非常にやさしい英語を学んでいる段階から訳出して覚える作業をくり返していくと、日本語を介して英語を考えるクセがつき、かえって話がややこしくなってしまうのです。


ついでに言えば、その塾のテキストに対応しているCDに録音されている英語の音声は、不自然なほどゆっくりしたものです。そのことを先生に指摘したら、「ネイティブの録音ですから(間違いありません)」と言われました。たしかにネイティヴ・スピーカーの録音なら発音自体はきれいなのかもしれませんが、あれは決して彼らが普通に話す速度で録音したものではないでしょう。学習者用の音声教材は、明瞭で訛りのないきれいな発音であることは必須でしょうけど、ある程度の速度は保持したほうがいいと思います。(CTP絵本の日本人用CDの音声速度も、遅すぎるように感じます。一般的に、仮に抑えた速度で録音するにしても、ネイティヴの乳幼児用程度の速度でいいと思います。)不自然なほど遅い音読は、実際に英語が使われている場面でのナチュラル・スピードの音声とは、似ても似つかないものになってしまいます。それでは「生の英語」を聞き取る力はつきません。

もちろん、徐々にスピードアップしていけばいいのだという反論も成り立つでしょう。しかし逆に、幼い頃こそ(非常に簡単な単語、簡単な会話を教える段階だからこそ)ナチュラル・スピードの英語音声を導入しやすいとも考えられます。実際、長文をナチュラル・スピードで一気に聞くのはなかなか難しくとも、ほとんど瞬時で終わるような単語や短い文であれば、ナチュラル・スピードであっても(むしろナチュラル・スピードのほうが)すぐに頭に入り、覚えて真似できます。たとえば、「グーーーーッド モーーーーニーーング」という間のぬけた音声よりも、「グッモーニンッ!」のほうが、一発で覚えられそうです。

昨日、相談を受けたお子さんはこの春までそこの塾で2年間英語を学んでいたけれど、「何も覚えてない」とのことでした。丸暗記だけして、テストさえ終えれば二度と使わないような知識は忘れてしまっても当然です。その子が悪いわけではありません。だけど英語力はそれではついていきません。何度もくり返しインプットとアウトプットをくり返しながら、英語の世界を自分の中に少しずつ築き、定着させていく必要があるのです。だからといって猛然と英語を“勉強”させる必要はありません。インプットとアウトプットは遊びを通じて行えるからです。むしろ英語を好きになって、自分から英語で遊ぶこと(本を読むこと、歌うこと、CDを聞くこと、ビデオやDVDを見ること、英語の劇遊びetc.……)を求めるようになるのがベストです。

継続は力なり……です。だけど継続し、広がりをもたせていくためには楽しくなければ続きません。

英語を英語のままに、楽しくインプットし、アウトプットし続けていける方法を、娘に英語を習得させたい一人の親としても、英語を教える者としても、今後も工夫していこうと思います。