2つのバレエ発表会を観て

先週は娘のバレエの発表会、昨日はお友だちが通う別の教室の発表会だった。この2つの発表会が極端なほどタイプが違う。驚かされると共に、英語を教えることに絡めてちょっと考えてしまった……。

バレエのレッスンでどのような教え方をするのが効果的なのか……それについては、わたしは全く門外漢なので、どちらのバレエ教室がいいのかという話をしたいわけではない。実際には生徒さんの年齢層に違いがあるので、どちらがうまいかと比べることもできない。以下はあくまでも英語レッスンに照らしての話だと考えてほしい。

さて、一方の教室のほうは、生徒たちにかなりハデに踊らせる。一人一人の出番も多い。生徒を励ましたり叱ったりしていろんなことにチャレンジさせるので、生徒はけっこう目一杯になる。そこで、「このままでは本番でもミスしそうだ……」とリハーサルぎりぎりで簡単なステップに変えたりするので、本番でもアラが目立つことが多い。だが、個々の生徒の力は発表会に向けて最大限に引き延ばされている。小さい子どもから年長の生徒さんまで、観客に向けてにこやかに微笑んで踊ることが強調され、おそらく意図的だろうが、誰もが一度は舞台正面に顔を向けるような構成になっている。舞台の作りは本格的で、見映えがする。ゲスト出演者も多用しており、ひとつの「作品」として見せようとしている演出者の意図が感じられる。

もう一方の教室は、あくまでも基本に忠実に……がモットーのようだ。普段の延長線上に“発表会”があるという感じで、派手な動きはない。確実にできることをやり、「シンプルな動き」をより洗練させて見せるほうに力を注いでいるらしい。実際、ぴったり息のあった群舞は美しい。だがその分、ソロを踊る若干数以外は「見せ場」がない。群舞の人が舞台正面に向けて微笑むような場面はまずない。むしろ、ゆっくりと動く群舞の一人として、情景に溶け込んでしまうことを要請されているようだ――そこには、ミスは許されないような厳しさが感じられる。演目もあちこちからの抜粋で、舞台の作りもシンプル。ひとつのバレエ作品からやや長く抜粋している場面でも、あらすじの紹介もなく、終わり方も唐突で、作品として見せようという意図があまり感じられなかった。

前者のタイプの発表会では、下手な子でもけっこう満足感を得られるだろう。それは継続への意思を生むが、向上心にはつながらないかもしれない。はっきりと形には現れない何らかの「成長」がありそうな気がするが、それが何なのかが一目では分からない。お姉さん生徒からチビちゃんまで、それぞれ別の踊りをしているがために、その成長の道筋も形としては見えにくい。一方、後者のような教室では、「わたしも早くソロを取れるようになりたい……」と生徒に憧れを抱かせることだろう。地道に練習を重ねることでもっと巧くなりたい……という向上心をそそるのだ。こちらの教室では、幼い生徒さんから大人の生徒さんまで、誰もが「基本形」を中心に見せているので、「もっと巧く」が比較的目に見えやすい。やるべきことが分かりやすいので、努力を注ぐ対象が絞られ、自分でも自分の成長が分かるという意味で励みになるだろう。

さて、英語教室だ。わたしの英語レッスンが上記のどちらのタイプに近いかと言えば、まず間違いなく前者だろう。そうだとすると、「英語が好き」という動因だけではなく、「英語をもっと巧くなりたい」という向上心をいかに引出すかが課題になる。「巧くなればこれができる」といった道筋を明確に示す必要もあるだろう。これまでは英語のネイティヴの先生に来てもらってパーティなどを開いて、英語で話をする機会を作ってきたし、そうした場で、子どもたちに歌や読み聞かせの発表をさせたりもしてきた。だが今後は、もうひとつ、音読をもう少し意図的に採り入れていこうかな……と先日から漠然と考えていたことが形になり始めた。それなら簡単な本からより難しい本へと「読める」ものの幅が広がっていることが、当人にも周囲にも理解しやすい。憧れをかきたてるような「モデル」を示すことも必要だ。音読を広げるとしてその材料を何にするのか、「モデル」を提示するとして誰がどのような形で提示するのか……もっと考えてみたい。