リトル・チャルでレッスン

今日、大人クラスのレッスンがあった。春休みのあいだ、英語に触れていないだろうな……と思っていたら、やっぱりそうだった。英語学習には王道はない。何であろうと英語が好きになって、おっくうでなくなって、毎日ふれあえるようになるのが、最高の上達法だ。だから、どうにかして、レッスンがお休みであろうと、自宅で英語に触れる方法はないかなぁ……と、春休み中に考えていた。で、今日、久しぶりのレッスンの冒頭で、いくつか提案をしてみた。

たとえば、レッスン時や図書館ボランティアなどで英語絵本のよみきかせを行うことを目標にして、自宅でブラッシュアップするとか、ごくごく簡単な絵本を貸し出すので多読にチャレンジしてみるとか、英語の歌を一曲覚えて披露できるようにするとか、あるいは……NHKの講座を使って、自宅でもテレビやラジオを視聴することにしたらどうだろう……。

そうほのめかしたら、「チャルをやりたい」との意見が出た。じつは、わたし自身、本屋で「この教材、いいかも……」と思っていたので、レッスン修了後、すぐに本屋に向かい、テレビとラジオのテキスト2冊とCDを購入してきた。

買ってきたテキストとCDをダイニングに置いておいたら、夕方、帰宅した娘が、「うわ〜! お母さん、これ買ってきてくれたの。良かったぁ〜、あたしこれ大好きなの。昨日、テレビで見たのよ」と叫んだ。おや、まあ。テレビで見ていたことすら、わたしは気づいていなかった。

娘はさっそく、ラジオの内容が録音されたCDのスキットのところだけ飛ばし聴きしながら、テレビ用の“絵本”をめくり始めた。この講座は中高校生レベルとのことだが、あいかわらず、細かいところが分からなくとも英語のお話を楽しめる娘である。二度ほど通して聞いた後、「お母さん、この問題やって」とラジオテキストの聞き取りテストをやらされた。聞いてみたら、とても単純。That's no wonder.という文を聞き取って書くという設問。これならできるんじゃないかと思ったので、娘にも聞かせてみた。意味も文も分からないはずなのに、シャドーウィングはできる。そこで「書いてみたら」とそそのかし、「thatにアポストロフィつけてsだよ」なんて言いながら書かせてみた。あいかわらずスペースは狭すぎるしNOは大文字だったけど褒めてやったら、当人は満足そうだった。まあ、いいさ。ようやく単語を読み書きすることに興味を持ちだした……時間がかかったなぁ、でも無理強いしなくて良かったなぁ、やっと自発的に読み始めてくれた。これも多少はフォニックスのレッスンのたまものなのだろうか。

昨日もこんなエピソードがあったばかり。K-WISHのコンサートのDVDを見ていた娘が、「お母さん! 歌詞どこにある? 見せて!」と突然叫んだ。歌詞のファイルをもってきてやったら、「これこれ……」とか言いながら、紙に書かれた歌詞のフレーズを指で追っていく。知っている単語と記憶している歌詞の抑揚を手がかりにして、それらしく歌詞を歌っていくその姿に、思わず感心してしまった。わたしも中高校生の頃に、ポップスやらロックやらの歌で英語を覚えたものだけど、娘の場合はそれに比べて何年も早い。

そういえば……と思い出し、「3年生から英語あるんでしょ?」と促したら、「うん、教科書、もらったよ〜! 超簡単だった」とのたまわったので、娘には、簡単でも「みんなと英語でやりとりする」こと自体に意味があるんだからねと、いちおう念を押しておいた。

「わたしはできる〜!」という優越感が学習意欲を育てることがあるのは確かだろう。それでも、言葉はコミュニケーションの道具なので、他の子を黙らせてしまっては練習できなくなる。だから、みんな一緒に伸びていき、互いにやりとりできるほうが、よっぽど子どもの英語環境はよくなるはずだ。「うちの子だけ良ければ……」と他の子を出し抜くことばかり考えていては、子どもが英語をしゃべれる相手がいなくなってしまう。継続は力なり。学習を継続させるためには「みんなで楽しく」はとても大事なのだ。結局、「英語のレベルが近いから」という理由だけで、5,6年生と一緒のクラスに行かせなくて良かったんだよなぁ……と、またしてもつらつら考えてしまった。