この火曜日にJ-Shineの小学校英語教師の民間資格イングリッシュ・トライアルを受けた。カナダのトロントから試験官が電話をかけてきて20分間話をし、そのうち最後の数分間が口頭試問だった。

当日、電話は正午にかかってくるはずだったので、午前中に教室で片づけものをしていた。すると11時に携帯電話が鳴り、英語で誰かがまくしたててきた……一瞬、知り合いの外国人の女性だろうと思ったら、何とその試験管が「1時間早くかけてしまった」電話が転送されてきたのだった。相手も電話が転送されたことで間違いに気づいたらしく、ひたすら謝っていた。1時間後には自宅に戻っているので、かけ直してほしいと手短に伝えて電話を切った。正直なところ、間違えてくれてラッキー、ちょうどいい予行練習になったな……と思った。彼女の英語はとてもクリアに聞き取れた。

正午を3分ほど回る頃に二度目の電話がきた。当然かもしれないけど、相手はけっこう恐縮しているようすだったので“No problem.”とおおらかに(?)応じたら、明らかにほっとしたのを感じた。時差があるから間違えたのだろうと思い、トロントからかけているのか?(試験管のプロフィールにあった)と確認したのを皮切りに、トロントには家族ぐるみのつきあいの一家がいて訪ねたことがある……等々と世間話が弾んだ。

しばらくして、「あなたには簡単すぎるかもしれないけれど、J-Shineのトライアルの設問に答えてほしい」と言われた。最初は相手の言うことをまるごとリピートする問題。それまでのおしゃべりで彼女の声に慣れていたこともあり、少しずつ変える言い方の微細に渡ってすべて聞こえたし、意識してていねいに発音したから(ネイティヴ並みと言われたこともある発音の良さはICUの英語教育のたまもの)完璧にリピートできたと思った。それからいくつか簡単な質問があった。語彙を試される設問では、ちょっと焦った場面もあったものの、それ以外は完璧だなとわれながら感じた。記述式問題のような自由回答の部分でも、自分なりの教え方の方法論をある程度展開できた。試験管はお世辞もあるだろうけど、「感銘を受けた」と言い、「J-Shineはあなたのような人材に恵まれて幸運だ」と、べた誉めしてくれた。

案の定、その後戻ってきた試験結果はすこぶる良かった。だけど逆に、児童英語教師に求められる英語能力はあの程度なのか……ということが、少々ショックだった。それは、自分の自己評価が周囲に誤解を与えてきたかもしれないことに気づいたショックでもあった。

幼い子どもに教えるほど、教師の資質は問われるべきだとわたしは考えている。わたしは大人には教えられるとある程度自信を持っているし、実際、教えた経験もある。だけど子どもに教えるためには、自分の力はまだ不足していると見なしてきた。幼ければ幼いほどオール・イングリッシュの授業のほうがいい。しかし、あらゆる事態に対応できるくらいに英語を自由自在にあやつれるほどには、わたしのオーラルの能力は達していない。そう思ってきたから、実際、周囲にも「わたしは話すのが苦手」だと言ってきた。しかし……もしかしたらわたしの“謙遜”は誤解を生んできたかもしれない。「話すのが苦手で」というわたしの実感から発した言葉は、一般的に児童英語教師に求められる英語力よりも能力の低い先生なのだという誤解を与えはしなかっただろうか……。それに気づいて、ちょっとガクゼンとした。

だけどまあ、考えようによっては、ここで気づいて良かったとも言えるし、発想を変える好機になったとも言える。実際、最初のしきいが高い翻訳の仕事とは違って、児童英語は入口は広くとも、奥は深い世界だとも思う。実際の英語力がどれほどか……なんてことは、教えるにはあまり関係ないことなのかもしれない。なにしろ人を育てる……ということは、自分一人で学び、培った力で一人で翻訳するのとは、わけが違うのだ。教師が自己研鑽するのは当然だとしても、自分自身が貯えた力を、一人一人違いのある生身の生徒たちとのコミュニケーションの中で発揮できなければ意味がないし、教師の力はそこで問われる。わたしが英語力をぐんとつけた高校2年のときの英語教師の発音は最悪だった。しかし、その先生が分厚い英語文法書を夏休みに全部やってみたらと言ってくれたことで、後のわたしがあるとも言える。教えることは、すでに「書かれている本」を訳すのとは話が違うのだ。

結果的に、イングリッシュ・トライアルはただの能力チェックではすまず、多くのことを考えさせられるいい経験になったように思う。やってよかった。