英語教室と英語活動の違い

わたしはこども英語教室と親子のための英語活動のボランティア・グループの両方を主宰している。「ボランティアも教室も、やることは同じでしょ?」と言う人もいたけど、自分のなかでは両者は異なるものとして位置づけているし、心構えも違えば、実際にやることもかなり違っていると思う。

英語教室のほうが究極の目的にしているのは、月謝を払ってくれている生徒一人一人が「英語力を伸ばすこと」である。その目的のために自らが提供するサービスの対価を教師は頂いているのだ。だから、単にレッスンに来ているあいだだけ“指導”する時間の切り売りではならない。そう考えるから、わたしはレッスン時間外の個別のカウンセリングやフォローアップをだいじにするし、家庭における英語環境作りや“英語活動”にも極力アドバイスするように努めている。要は「一人一人の生徒の英語力」を伸ばすという究極の目的を中心にすべては動いており、「英語好きにさせること」は、そのための手段のひとつと位置づけるべきなのだ。さらに言うならある特定の生徒が「英語力をつけるために、いかにすれば英語好きになるか」を、教師は考えていかなければならない。ただ「楽しい場」を提供するのでは、教師というより、人の喜びを対価とするボランティアあるいは芸人になってしまう。

一方、ボランティアでの「英語活動」をするときには、任意で足を運んでくれる不特定多数の子どもたちに対して、「英語を楽しむ経験を与えること」を目的にしている。言い換えれば、「子どもたちを英語好きにすること」それ自体が目的なのだ。たとえばよみきかせでは、「どんな子が来るか」と想定して準備はするものの、来てくれた子ども一人一人の年齢や英語経験を確かめ、それに応じたプログラムを組み立てることなどありえない。フォローアップだってない。

英語サークルのリーダーは、「みんな」が楽しむことには留意するかもしれないが、一人一人の子どもに対する責任をもつ必要はない。(一人一人の子の英語力の向上にまで責任を持たされるなんてことは、あってはならない。)リーダーの活動は善意による自発的なものであり、参加する側も、いわば「好きで来ている」だけなのだから。そのサークルが「合わない」と思ったメンバーは、いつでもやめることができるはずで、来続けているとすれば、それは単に「楽しいから」であるべきだ。サークルには利害関係はないほうがいい。

また、英語学習という見地からしても、英語を楽しみ、英語を好きにさせることが基本的な機能であるサークルはあくまでも補助的なものなのだ。サークルで培った「英語が好き」という気持ちを、家庭や教室における学習意欲につなげていくことは大事だけれど、サークルだけで学ぼうとするのは無理があるような……。いや、逆だな。サークルだけではできないことをしなければ、英語教室だとは言えない、と考えるべきだろう。

「英語サークルが増えると困るでしょ?」と、聞いてきた人もいる。だけど、サークルが増えること自体は、地域の英語への関心が高まり、英語環境が向上するという意味で、英語教室にとってはむしろ歓迎すべきことだろう。英語サークルの限界は,わたし自身が知っている。英語サークルは導入や補足としてはいいのだが,それのみで英語力を高めようとするのは非常に困難で,リーダーの持ち出しが多すぎる。

それに、サークルが競合になりうるようなサービスしか提供できないようなら、教室を閉じてボランティアに徹すべきだ……と,これは自戒だな。ついわたしは,ボランティアばかりやってしまうから。ともあれ,今のところ自分なりの切り分け方で、教室*1もボランティア*2も続けている。わたしにとっては、どちらもたいせつな活動だし、互いにもうひとつの活動ではできないことをする場になっている。

*1:泉野イングリッシュ

*2:金沢イングリッシュ・ネットワーク=KEN