ブックスタートとよみきかせ

わたしが「よみきかせ」とひらがなにしているのには、いくつかの意味が込められている。

ひとつには、「よみきかせ」を一方が「読み」他方が「聞く」という機能的な“行為”のみに限定あるいは矮小化したくないという気持ちの現われなのだと思う。

このこだわりは、わたしの語感に基づいているので、すべての人に共有されているとは言わない。ただわたしは、ひらがなには肉声や関係といったものが感じられてならない。逆に言えば、表意文字(漢字)を使ったとたん、その漢字がシンボライズしている意味の秩序の世界に当てはめられ、押し込められていくように感じてしまう。漢字では表せない(表わしてしまったら意味がズレていく)不定形な音や感情を表すことが可能なひらがなの世界では、「存在」がまるごと受けとめられるような感覚がある。「やさしい」という言葉は、「易しい」でもあり「優しい」でもある。ひらがなではどちらの意味にも受けとることができるし、両方を兼ねることもできるだろう。しかし、漢字にしてしまったとたんに、「一方の意味」だけが正解となり、もう一方の意味は消されてしまう。そうした言葉の理不尽さへの憤りが、根底にあるのかもしれない。

「よみきかせ」としておけば、人によっては「読み」に焦点をおくだろうし(自分が読んでみたいボランティア希望者など)、「聞かせる」ことを重視する人(子どもへの教育的効果を狙う母親など)もいるだろう。それだけではなく、「よみきかせる」という行為や場や子どもとの関係を重視する人もいるだろう。どの解釈が当たっているとも間違っているとも言いたくはないが、わたし自身は、一般的には(特に親子間のよみきかせについては)最後の点を重視しているし、とりわけ「英語のよみきかせ」については(英語の教師として生徒に行うものについては)「聞かせる」ことを重視しているように思う。

よみきかせブームの発端は、ブックスタート運動にあるように思われる。ブックスタートは、ウィキペディアでは次のように説明されている。

ブックスタート(Bookstart)とは、赤ちゃんとその保護者に絵本や子育てに関する情報などが入ったブックスタート・パックを手渡し、絵本を介して心ふれあうひとときをもつきっかけをつくる活動である。

1992年に、イギリスのバーミンガムにおいて取り組みが始まり、日本では2001年から市区町村自治体の事業として行われている。

2002年には政府が子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画を出しており、その中でも学校のみならず、家庭・地域における読書活動の推進が強調されている。

これに英語を初めとする“早期教育”ブームが重なっていき、現在の英語熱が作られていった。その話はいずれまた書くことにしよう。