知る人ぞ知るのまりんさんのお仲間?による紙芝居の会に参加。茨城と東京から来た紙芝居作家(&パフォーマー?)さんが自作を交えて紙芝居を披露した。

いつものことながら、紙芝居そのものはもちろん、その合間の観客を引きよせる話術の巧さにも舌を巻いた。新米英語教師にとって学ぶところ大いにありなのだが、正直なところ、わたしはああはできないし、あそこまでしなくともいいんじゃないか……という気持ちが心の底にあるのは否めない。

先日、のまりんさんが北陸大学で行なった紙芝居に関する授業に出た。「紙芝居は朗読ではなく、あくまでも“芝居”」という言葉に、膝を打った。紙芝居はパフォーマンスなのだ。教育的効果はあくまでも副次的なもの。だとすれば、英語学習効果をねらった“よみきかせ”とは、おのず違ったものになる。

3月4日に、泉野図書館で行なうよみきかせ会で、北陸大学の井上裕子先生とその学生さんたちが行なう“よみきかせ”は、わたしが行なおうと考えていたタイプのものとは全く違う。いい悪いではなく、単に違うのだ。井上先生たちは、ストレートに“英語学習”に狙いを定めている。おのず、対象は比較的上の年齢層(小学生――低学年でも多少は英語を知っている子)になる。会の準備を進めていくなかで、井上先生とわたしのベースの違いがよく見えてきた。しかし、わたしがイメージしていた“英語よみきかせ会”のターゲットは、未就学児とその親だった。そこで、親の側の英語力は問わない――が、実際には、英語を子どもに学ばせたい、自分も学びたいと思っている親たちが子どもを“参加させる”形になるのだろうと、漠然と思っていた。つまり子どもの年齢層はかなり低いだろうという想定があった。

その違いに気づいたことから、いったいわたしはどんな“よみきかせ会”をしたいのかと、改めて考えるようになったので,話が前後するのだけど、過去日記のスペースに考えたことを書きとめておきました。ただし,どこから読んでも話は通じるとは思います。