『子どもの「遊び」は魔法の授業』より

上の出来事でちょっと思い出した本=『子どもの「遊び」は魔法の授業』から、気になるフレーズを抜書きしてみました。

業績主義のもう一つの問題点は、子どものIQの発達を重視するあまり、同じくらい重要な子どもの側面――(中略)ダニエル・ゴールマンが,自らの革新的な著作『EQ――心の知能指数』(講談社)の中でEQと読んでいる能力――を完全にないがしろにしてしまうことである。(p.29)

ゴールマン博士によれば,IQの低い人でも成功する場合決め手になるのは「EQ(感情指数)」であり、EQには「セルフコントロール(自制心)、熱意、ねばり強さ、自分を動機づけする力といったものが含まれる。

EQの概念が親や子にとってどんな意味をもっているかというと、親子で楽しむことが、子どもに最良の人生のスタートを切らせる礎[いしずえ]になるということだ。子どもを楽しませる時間をもつこと――子どもと遊び、子どもの世界で起こっていることについて話し合うこと――が、子どもの将来の成功を保証する心や情緒を育むために、親にできる最良のことだということである。(p.29-30)

「新しい子育ての提案」と題した節では、著者は次のように述べている。

「三つのR」からはじめることを提案したい。「よく考える(reflect)」、「抵抗する(resist)」、「中心を作り直す(re-center)」の三つである。(p.33)

それぞれ本文をもとにして、簡単に説明を加えましょう。便宜上、幼い子どもに対する強制的な教え込みのことを、下記でわたしは「早期教育」と呼んでいます。

(1)よく考える(reflect)

メディアの宣伝に踊らされそうになったら、「自分のすべきことなのかどうか、文化的な圧力に圧しているだけではないか」と再考すべきなのだ。「この経験、クラス、お稽古、活動は自由な遊び時間を減らすに値するものだろうか? わざわざ車で送り迎えするに値するだろうか?」

(2)抵抗する(resist)

これは「よく考える」に関連している。「抵抗するとは、熱狂に加わるのをやめることを意味する」と著者は言う。そして「多いことがいつも良いとは限らない」「子どもの『大人化』や成長の加速化は前向きの選択ではなく、子どもから自由を奪う選択でもある」ということを科学的根拠をもって理解し、たとえば早期教育などの熱狂に抵抗するよう薦めている。

(3)中心を作り直す(re-center)

早期教育に抵抗するという自分の決断に自信をもてるように「子供時代の核は勉強ではなく、遊び」であり、「遊びこそ、子どもが学ぶ第一の手段」だと肝に命じるべきだ――ここが著者の主張の核心だと言えよう。

原著のタイトルは、"Einstein Never Used Flash Cards"――「フラッシュカードを一度も使ったことのないアインシュタイン」であり、知育玩具などなくても、いろんな遊びの中で子どもたちは学んでいくということが主張されている。

特に、ついがんばりすぎてしまうという自覚のある、わたしと同類のママたちにお薦めしたい本です。次のように、日常生活でどんな風に子どもに接していけば、知能を刺激できるか……に関する具体的なヒントもいっぱいです。

 奇抜な場所や費用のかかるテーマパークに出かけるのは素晴らしいことだが、脳を構築するためにわざわざそのような場所に出かける必要はない。自宅の裏庭でも、膨大な量の刺激を受けることができる。風に揺れる草の葉、巣づくりに励むアリ、足元の土の中で助け合って暮らすすべての生き物の奇跡を目撃することができる―中略―子どもたちにとって、庭ははしゃぎ回れる舞台であるとともに、科学や物理、自然や色彩を習う場でもあるのだ。
 庭に出て、四、五歳の子どもらに、アリになったらどんな気分か想像してみるよう言ってみてもらいたい。そして、世界がどんな風に違って見えるか、どんな音が聞こえるか、怖いものは何かを聞いてみてもらいたい。そうすれば、子どもたちの創造性を刺激することができるだろう。子どもはほかの人が抱く恐怖を想像するのをしばしば好む。そのようにして、自分がひとりぼっちではないことを知るのだ。
 庭が奏でる音楽が聞こえるかどうかを聞いてみるのもいいだろう。棒と石で造れる楽器はあるだろうか? 葉っぱが擦れる音や雨音が刻むリズムが聞こえるだろうか? 庭に毛布を広げ、目を閉じて寝転んでみてもらいたい。何が聞こえるだろう? 風にそよぐ葉っぱの音? それとも、ミツバチの羽音だろうか? 車のきしむ音はどうだろう? 雷太鼓は? 小鳥のさえずりやモッキングバードの鳴き声はどうだろう? 二歳の子でさえこうした遊びが大好きである。(p.66-67)

忙しい日常生活を送っていると、ついついこんな風に子どもに接する“余裕”を見失いがちだよね。でも、そう自覚しているがゆえに、保育園の送り迎えをしていた頃から、せめて歩いているときに、空や草木や虫など、身近な自然に目を向けることだけは教えようとしてきた。

仮にそれが、娘が登校時に他の子よりも足が遅くなりがちな原因のひとつだとしても、やれツクシがあったの、タンポポの綿毛を見付けたの、アリがいたのと立ち止まりがちな娘に対して、遅刻しない限りは「それでいいんだよ」とわたしは味方になってやりたいと思う。

英語の話そのものからは、それちゃったけど……ま、たまにはいいよ、ね。